千代田区の歴史

千代田区の神保町といえば、書店街。この街が誕生したのは、明治以降、この神保町がある神田エリアが、大学がたくさんあったから。学習院大学や明治大学、東大のルーツである蕃書調所が現代の九段下に、そして開成学校も神田錦町にありました。こうした教育の街だったからこそ、神田には出版社が集まるようになり、文人が集うことになりました。書店街が生まれる背景になったといえます。

また、千代田区の番町エリアは、江戸時代に、将軍を直接警護する大番組の武士たちの家があったことが町名の由来といわれています。徳川家康が関東に入り、配下の武士が入り江中心の江戸城周辺で、家を建てるのに適した土地がこの番町エリアぐらいしかなかったともいえます。有事の際は、江戸城にすぐに駆けつけられる番町は、結果的に大番組にとってとても都合が良かったようです。これは都心に賃貸を探している人たちが一番気になる職住近接といえます。江戸時代の職住近接である番町エリアは、いまは高級住宅地となっています。

井上馨は、現在の霞が関や日比谷の街の形成に大きく寄与しました。井上馨は、明治維新の志士で、政治家です。井上馨は、不平等条約の改正のため、日本を欧米に負けない文化を持つ国にするべく鹿鳴館を建設しました。また、近代的な都市づくりを目指して、日比谷から霞が関にかけて官庁集中計画を試みました。それは官庁のほかに、万博会場なども念頭においたプランでした。これは未完に終わりましたが、現在の霞が関の官庁街は、この計画をきっかけに生まれたと言われています。

都心に賃貸住宅を考えたとき、歴史ある千代田区で暮らすという選択肢が有るかと思います。歴史の中の生活を楽しめると思います。

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