港区の歴史
都心で高級賃貸住宅を考えたとき、やっぱり港区に住みたいという人は多いと思います。港区は、国際的な街で、流行を感じさせる街です。様々な顔を持つ港区ですが、歴史から見てみると、江戸時代初期には家もなくのんびりとした郊外だったそうです。
これが変わるきっかけとなったは、1657年の明暦の大火だといわれています。江戸城一帯が焼き尽くされ、その復興のなかで、大名屋敷や増えていく人口の受け入れ先となったのが、江戸城の南西です。現在の港区方面に住宅地が広がっていきました。もうひとつの理由が、幕末以降、麻布や高輪周辺に外国の大使館がいくつか置かれることになったからだそうです。
これを契機に、現在の港区は外国人が多く住むエリアとなりました。港区というのは、江戸の時代から、政治や商業よりも住むという視点で捉えられてきた地域でした。そういった意味では、長い歴史のある住宅街といえるでしょう。江戸時代の末期、海防に不安があった江戸幕府は、ペリー来航以降、外国の脅威を肌で感じました。こういったことから、具体的な江戸の海防策を提案、実行を命じられたのが伊豆韮山の代官・江川英竜です。江川は、西洋式砲術などを学んでいました。この人が立てた海防策の一環として東京湾のお台場の砲台が品川台場です。
現在、フジテレビなどがある13号埋立地の北部がお台場と名付けられたのは、これにちなんでのことです。江戸時代、芝一帯は武家地や寺社地に加えて、町人地も多く、にぎやかでした。新鮮な魚で有名だった魚市場や芝明神が人気を集め、たくさんの参詣者が訪れていました。都心で賃貸を考える人にとって、こういった江戸の文化も魅力のひとつだと思います。